f/q 交換日記(2026/4/13・水上文)
近藤銀河さん、小沼理さん、瀬戸マサキさんと私――クィアなライター達によるこの交換日記も三周目に入りました。これまでのみんなの日記は、以下から読めます。
私の第一回の日記が2025年6月だったから、この企画をはじめてからもうすぐ一年が経とうとしていることになります。びっくりだね。トランプ再選、高市内閣誕生、戦争、激化する差別と対立――あまりにも気が滅入ることばかりだけど、同時にあわただしく日常も過ぎていって、なんだか最近は頭がうまく働きません。
もしかしたら、2月はインフルエンザで寝込んだり、3月には、ちょっと痛みを感じる箇所があって簡単だけど外科手術をしたり、レーザーでほくろを取ったり、歯の矯正のために歯を4本抜いたりもして、あちこちに痛みを感じていたのもあるかもしれない。どんなに日々のニュースに落ち込んでいても、あいも変わらずやらなければならないことは大量にあって、こなすことで精いっぱいだったのもあるかもしれない。
そう、ここ数か月は本当に盛りだくさんでした。
仕事面でいえば、2月のはじめには、昨年『わたしを夢に見てください』の邦訳が刊行された韓国の作家、キム・メラさんの来日イベントで聞き手を務め、いろんな話を聞かせてもらいました。キム・メラさん、小説もすごく面白いのだけどご本人もとてもすてきだった。キム・メラさんはレズビアンが登場する小説をたくさん書かれているのだけど、韓国ではプライドイベントの企画として、クィアをテーマにした小説を現役の作家たちが様々に書くということもあったそう。こういう話を聞くと、日本で同じ企画をするとしたら、いったいどの程度の作家が、誰が書いてくれるだろう?とつい考えてしまいます。ちなみに、キム・メラさんの「夕焼け」――ディルドを擬人化して語り手にして、レズビアン・カップルの生活を描き出す作品。すっごくおすすめです――については、世界文学語圏・横断ネットワークでのパネル発表にも参加させてもらって、それも大切な思い出です。
あと2月の終わりには、銀河ちゃん、レロちゃん(中村香住さん)と一緒に『はじめての百合スタディーズ』を刊行したりもしたし、関連イベントとして、長年第一線で活躍し続けている百合作家、森島明子さんに、百合やクィアのアーカイヴとしてとても貴重なお話をたくさん聞かせてもらえる機会もありました。本当にうれしい――今よりずっと百合作品を見つけることが難しかった時代から、森島さんの作品はいつも私をはげましてくれていたものだからです。直接聞く以外にはあまり知る手段がないような百合とクィアの歴史に触れることのできた、宝物のような一日でした。
さらに3月は、小沼さんも来てくれた、「道をつくる3」のイベントにも登壇しました。イベントでは、トロントのアジア系クィアの姿を記録した1984年のドキュメンタリーからおよそ30年の時を経て再び撮られたドキュメンタリー「Re; Orientations」の上映と、日本の植民地主義の歴史を問い直すプロジェクトNikkei Decolonization Tourのメンバーによるトークショーがあって、私はトークの聞き手とドキュメンタリーのアフタートークを務めました。ドキュメンタリーには去年トロントで出会った人も出演していたりして、不思議な気分にもなったけれど、なんだかうれしかった。違う場所に生きているけれど、どこかでつながっていて、でも違うところのたくさんある人たちとの出会い。
あと、3月は諸々の書評やエッセイやコラムの仕事に加え、文芸誌『文藝』の文芸季評連載の締め切りもありました。毎月発売される文芸誌を全部読んで11000字の批評を書くというこの仕事、今年で担当してから4年目になるのだけど、読むのも書くのも本当に大変で、締め切りのある月はいつもあっという間に過ぎてしまいます。
でも、現在進行形で書き続けている作家の最新作をリアルタイムで読むことには、いつも喜びがあります。というのは、同時代を共有していることの醍醐味がそこにはあるから。たとえば「書く」という営みへのモチベーションの低下について、私も前回の日記で書いたし、マサキさんも書いているけれど、おそらくいろんな作家が同種の問題に直面しているのを、読んでいると感じます。私自身の答えはまだ見つからないけれど、だからこそ、各々の作家が苦悩し、工夫し、この困難を描き出す方法を模索する様を目の当たりにしていることに、はげまされるのです。
色々あったのは仕事面だけでもありません。
3月には、およそ三週間、ふだんはカナダに住んでいるパートナーが日本に滞在していたこともありました。カナダと日本の遠距離でなかなか直接会える機会が少ない私たちにとって、とても貴重な三週間。ふたりともクラフトビールが大好きなので、いろんなブリュワリーを訪れたり、近所を散歩して桜がだんだん花開くのを見守ったりしていました。楽しくて、でも盛り沢山で、あっという間に過ぎてしまった。
今回の滞在では、はじめて私の母にパートナーを紹介するという、個人的に大きな出来事もありました。お母さんに正式にカミングアウトした当初は、色々なハレーションもあったのだけど、少しずつ咀嚼してくれているみたいで、今回のことはその大きな一歩。ちなみにあとでお母さんに感想を聞いてみたところ、「男の人相手だったら娘をよろしくお願いしますって言うけれど、違うから、なんて言えばいいのかわからなかった。もしかしてあなたたちは対等なのかなと思って」と言っていたことが印象に残っています――そんなにも対等ではないことがデフォルトなのか、と思って、いささか衝撃を受けたのです。
英語の勉強も地道に続けています。
昨年のカナダ滞在時、語学学校で出会った友達と時々ビデオチャットで話したり、オンラインの英会話プラットフォームを使ったり。日本語とは比べ物にならないくらい限られた語彙と表現しか使えないのだけど、なんとかやっていて、英語学習によってコミュニケーションを取れる人の幅が大きく広がったことには、特別な喜びを感じています。
けれども、気が滅入ることもあります。
たとえば、語学学校でいちばん気が合った芸術を愛するロシア人の友達と、ロシア政府によるネット遮断のせいでしばらく話せていなかったり。彼女は、今まだ学生の恋人が、卒業後に徴兵されてしまうかもしれないと心配しています。何も状況が良くなる見込みがない、英語を練習したいけれど、ロシアではもうIELTSを受けることもできない、という彼女を前に、私はうまく励ます言葉を見つけられませんでした。
ほかにも、オンライン英会話で話していた相手がターフで、とんでもないことを色々言われても日本語でするほどうまく反論できず悔しい思いをしたり、今はトルコで難民として暮らすバイセクシュアルのイラン人の女性から、イランで経験した壮絶な暴力の話を聞いたり、といったこともありました。バイセクシュアルの彼女は、私がそのプラットフォームではじめて出会ったクィアで、何もかもが違うのにクィアというだけで何かを共有している気がして、話していると楽しくて、そこでいちばん話している人のひとりです。でも、アメリカとイスラエルによる攻撃がはじまった時、戦争はもちろん良くない、でももうあの国を変えるにはほかに手段はないのだと言い募る彼女を前に、英語ではもちろん日本語でも、私に言える言葉はありませんでした。
こうした状況で、どんな言語ででも、どんな言葉を発することができるだろう? 私はどんな立場から、何を言えるのだろう? わからないことばかりです。
つらつらと近況報告をしていたら、ずいぶん文字数がかさんでしまいました。特に結論も何もないのだけど、ひとまずこのへんで。
次は小沼さんかな。小沼さんの新刊『悲しい話は今はおしまい』、まだ読めていないのだけど、きっとここでもつらつら書いたような難しさのなかでヒントになることが詰まっている気がしています。楽しみに読むね。ほかのみんなの日々についても、またいろいろ教えてもらえるとうれしいです。

